∀ddict

I'm a Japanese otaku. I like Manga, Anime, Games and Comics.

リーンの翼

富野由悠季監督の誕生日記念ということで、GyaO, Biglobe, バンダイチャンネルで11月5日正午から11月6日正午まで無料配信中。

1週目を見た感想を漢字一文字で書くと「尺」です。二週目を引き続き見ているので詳しい感想は物語を咀嚼してからということで。

追記

混乱、キャラクター同士の勘違い、戦闘中の叫び声、1回見ただけでは分からないところ、ラストが尻切れっぽいようなところと紛れもない富野アニメ。要するに一見さんはいつもの感想を抱き、ファンはそれを必死に解読しようとするわけですね。そういう業の深いファンとして『ダヴィンチ・コード』ならぬ『ヨシユキ・コード』を解読してみることに。以下、内容に触れることもあります。

無料配信に先立って、全話完成記念上映会があったのだけど、そこのレポートで全体的な印象は富野監督本人に言われてしまった感じ。

富野「自分の中にモチベーションが無かったから困った、という事があります。困ったからどう作るかという事で、やったら今回のみたいな事になってしまって、バイストン・ウェルものでなくてサコミズ物語になってしまった(頭を下げる。観客爆笑)。エイサップとリュクスはどこにいったんだ、という所がとても痛いな。本当に(また頭を下げる)」

リーンが始まった当初は「サコミズ(戦前の男)とエイサップ(最近の男)が戦ってサコミズが敗北してもいいと思えるような話にしたい」と聞いた覚えがあったのですが、富野監督曰く「サコミズ物語」になってしまったとのこと。

実際その通りで、小説版『リーンの翼』でアマルガンに殺された迫水真次郎を成仏させるための話になっているように感じました。ですからサコミズを主体としてエイサップが狂言回し、リュクスが両者の仲介者として見るときれいにまとまっているのですが(特にサコミズが乗っていた桜花からの連想で桜吹雪舞い散る中の終わり方は印象的だった)、エイサップとリュクスの物語としてはまだ尺が足りないように感じました。

ジャコバ・アオンやリーンの翼の靴が示すように「世代交代」が本作のテーマの一つなのだと思いますが、世代交代は上の世代が強大であればあるほどうまくいかないということが如実に反映されていたと思います。生存中の世代交代は上の世代が引退や死といった形で実務から遠ざからない限り難しいのでしょうか。

後、『∀』『キングゲイナー』『リーンの翼』と敵のボス的存在のキャラクターが暴走して話を当初の予定から大幅に変えてしまうところは良し悪しですね。それだけキャラクターが生きていて、魅力的なのですが、尺の決まった物語で物語をコントロールできないのはデメリットも大きそう。あのラストだと『聖戦士ダンバイン』のチャム・ファウがいつの間にかいなくなった(おそらくバイストン・ウェルに帰った)のともかけてるんだろうけど、エイサップがもう一度オーラロードを渡らないと「エイサップの物語」としては物足りない感じ。

話の各論はまた「作品紹介」タグで書くものとして、最後にもう一つだけ。漫画版『リーンの翼』の巻末富野インタビューで語っていた、近代国家の時代に作られた物語*1以前のコミュニティの民話や寓話という共通経験*2にまで前提を戻してそこから〈物語〉を再構築しようとする気概は伝わってきた気がします。バイストン・ウェルがそういう観念であり御伽噺の世界なのですが、今回特にそう思ったのはビジュアルや演出を可能にする技術の進歩があったからでしょうか。オーラバトラーの昆虫的な動きは特に良くできていたと思います。

*1:富野監督風に言うと〈主義〉か?

*2:富野監督風に言うと〈芸能〉か?