∀ddict

I'm a Japanese otaku. I like Manga, Anime, Games and Comics.

『カウボーイビバップ』

1話から4話まで見ていてスタイリッシュではあるのだけれど、話の焦点が定まらない感じが強かった。5話でビシャスが登場するが、それはほとんど物語の締めくくりのために使われるだけ。残りのほとんどがほとんどがオムニバス作品のような一話完結型。4人が揃ってから、賞金首の紹介番組が終わるまでは時間の流れでさえ定かではない。テーマから始まってテーマに沿いながらも鋭いアドリブが入り、そして最後にテーマに収束する。この形式はタイトルの通りビバップ*1のスタイルだ。

カウボーイビバップ』は平成版『ルパン三世』とも呼ばれているらしい。確かに両者の間には類似点が多い。軽口を叩きながらも凄腕のスパイクはルパン、文句を言いながらもスパイクの面倒を見るジェットは次元、自由奔放なフェイは不二子を髣髴とさせる*2。物語は便宜上始まり、便宜上終わる。そしてその間の話は1話という大枠も同じだ。だが、内容の意味は随分と異なる。それは単に追うもの(スパイク)と追われるもの(ルパン)が入れ替わっただけではない。

ルパン三世』の場合は追う方(銭形)にも追われる方(ルパン)にもメインキャラがおり、所や品が変われどルパンと銭形の「終わらない追いかけっこ」の構図は変わらない。銭形はルパンが死んだと聞かされても頑なにそれを信じようとしなかったし、ルパンが死んだと思い込んだときには茫然自失としてしまうほどだ。他方、ルパンも銭形が自分を追いかけてこないとついついちょっかいを出しに行ってしまう。そして

「あばよー。とっつあーん!!」
「まてー!ルパーン!!」

の声が毎回のように聞こえてくるのだ。

だが、『カウボーイビバップ』は違う。例えば賞金首を引き渡して終わってしまうか、あるいは過去に終わってしまった話なのだ。スパイクが回想で「オレの義眼は過去を見ている」と語っているし、物語は過去の亡霊によって終わりを告げる。そして物語は常に祭りの後のような喪失感を漂わせている。

これはスィング・ジャズからビバップが生まれた背景にも似ているし、バブル以降、特にアニメで言えば『新世紀エヴァンゲリオン』以降の雰囲気にも似ている。音楽がジャスなのも、メインメンバーのエドの遅い参入などの「お約束」外しがあるのも決して偶然ではないだろう。『ルパン三世』の楽しい「終わらない追いかけっこ」は終わってしまったのだ。その終わった世界が『カウボーイビバップ』なのだ。

ビバップはスィング・ジャスが煮詰まった頃に誕生したスタイルだった。『カウボーイビバップ』は煮詰まった物語への新たなスタイルだったのかもしれない。だが、それはビバップがそうだったように作る側には即時的・実験的なものを作ることが目的の、見る側にはただ見るだけのアニメになってしまう可能性も秘めている。『カウボーイビバップ』26話放送から7年。今のアニメはどのような道を歩んできたのだろうか。


余談:

菅野よう子の曲も秀逸なのだが、せっかく『カウボーイビバップ』に出会ったのだからビバップも聞いてみてはどうだろうか。個人的には

辺りをお勧めする。特にチャーリー・パーカーの「チャーリー・パーカー・オン・ダイアル」はお勧め。音源が悪かったり、失敗テイクも入っていたりするが、それもまた味である。

*1:詳しくは「http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%93%E3%83%90%E3%83%83%E3%83%97」を参照

*2:五右衛門は敵だけどビシャス?それともビシャスはTVスペシャルの銀のワルサーP38に出てきたルパンの元相棒?