バットマン研究会感想
開催からずいぶん間が空いてしまいましたが、11/26に京都精華大学で行われたバットマン研究会の様子がUstreamの録画があったので見てみました。
- バットマン研究会 | 京都国際マンガミュージアム - えむえむ
- Ustream.tv: ユーザー kyotomm: バットマン研究会 1/2, 2011年11月26日(土) 午後2時30分~5時30分. その他
- Ustream.tv: ユーザー kyotomm: バットマン研究会 2/2, 2011年11月26日(土) 午後2時30分~5時30分. その他
以下感想。
5分間で追うバットマンの歴史
まず、5分間でざっとバットマンの歴史の解説がありました。概要なので省略されたことが多かったので特に言及するようなことも無かったのですが、最後のスライドの右上のキャラクターは3代目ロビンのティム・ドレイクだと思います。
「バットマン」を事例にしたアメリカンコミックスにおけるキャラクターデザイン
ロビンを例に外的要因によって変化していったキャラクターデザインの変遷について。
アメリカンコミックスでは特定の年代をバックボーンを持つヒーローと持たないヒーローがいます。バットマンでもDCでもなく、Marvelの話になりますが、キャプテン・アメリカは第二次世界大戦に生まれて現代に復活したヒーロで、アイアンマンは作品の仕切り直しやシリーズによって生まれが異なります。
映画を例にするとキャプテン・アメリカは第二次世界大戦で生まれ、21世紀に復活しました。オリジナルの復活は1960年代で20年ぶりの復活でしたが、シリーズが新しくなるにつれ、氷漬けになっている期間がどんどん伸びています。一方アイアンマンはアーマー装着のきっかけになった負傷の原因がベトナム戦争から次第に変わり、映画ではイラク戦争が原因になりました。
バットマンも特定の時代をバックボーンに持たないヒーローで、時代が移り変わっても基本的に30代半ばのままです。日本の漫画、アニメで言うと何年間も連載が続いても進級、進学しないがキャラクターはどんどん増えていく、そういった状況を思い浮かべてもらうとよいと思います。長期連載の間に時代が変わっていくのでそれに応じてキャラクターの設定もフィードバックを受けます。アニメのドラえもんのリニューアルのようなことが行われているわけですね。
コメンテーターの方の指摘にありましたが、バットマンが現代のヒーローである以上、連載の間に起こった現実の変容が反映されています。その意味で女性や有色人種のキャラクターの外部要因による変更が白人で子供のサイドキックであるロビンより大きいのは間違いないでしょう。指摘のあったキャットウーマンは実写だけでもアダム・ウェストが主演のドラマ版からハル・ベリー主演の『キャットウーマン』まで大きな変更が行われています。
服装だけでも露出の大幅な増加やコスチュームがレザー生地をベースにしたものになるなど、大きな変更が加えられています。設定面では特定の話ではバットマンの一番の理解者であり、結婚したことでさえありました。その時代の設定を元にした『バットマン:ブレイブ&ボールド』ではアルフレッドの妄想としてバットマンとキャットウーマンが結婚してダミアンが生まれ(原作ではタリア=グールとの間の子供ですが)、ロビンを受け継ぎその後バットマンになる話もあります。
あまり詳しくないのでバットマンで有色人種を強調したキャラクターがいたか記憶にありませんが、Marvelのアフリカ系アメリカ人であるパワーマン(ルーク・ケイジ)は登場当初はアフロにヘッドバンド、黄色の襟の立った胸元が開いた服を着ていましたが、今では丸坊主に黒いTシャツの姿になっています。
その辺りも比較対象に入れていくと膨らみが出そうです。
ゴールデン・エイジ期(1939-56)「バットマン」におけるアメリカ文化と時代思想
発表者の方がアメリカ大衆文化の専門家らしく、フィルム・ノワールやパルプ・フィクションを源泉としたバットマンの成立と、シルバーエイジの仕切り直しまでの話。バットマンは初出がディテクティブ・コミックスだけあって源泉はパルプ・フィクションの探偵物でコウモリの意匠はキャラクター付けだったのでしょうね。発表内で言及されている『怪傑ゾロ』や『バット』による着想があったと考えられます。
この辺りの話はAVGNのバットマン映画マラソン
やアメリカンコミックス・スーパーヒーロークロニクルの該当時代部分
にも詳しいと思います。
余談ですが、紆余曲折あってWorld's Finest Comicsのようなカオスな表紙のものが発売されていたりします。以下でその表紙を見ることができます。
World's Finest Comics (Volume) - Comic Vine
中身を読んだことがないですが「お前らなにしてるんだ」という表紙が多いですね(バットマンとスーパーマンが野球してたり、スーバーマンがリアカー引いてたり)。
マンガとして読む「バットマン」
最後に発表者が研究会で話を受けてからアメコミを読み始めたため、調査期間が1ヶ月しかなく、対象が邦訳されたものに限定されていることが残念でした。最近でも手に入るバットマンの邦訳は主に80年代のものばかりで、2000年代のものとしてはジャイブから発売されていた『バットマン:ハッシュ』くらいでしょうか(質問の時間では『バットマン:ハッシュ』に言及していましたが)アメコミをマンガ表現の切り口で語るとすると、日本の漫画がアメリカに進出した90年代以降の作品を取り上げる必要があると思うのですが、そこが時間と邦訳の都合で抜けているのは残念でした。この話は最近のアメコミにまで対象が広げて再度話を聞いてみたいと思います。
『バットマン:ダークナイトリターンズ』はバットマンの設定や雰囲気の方向性を決定づけたものだとは思いますが、バットマン本編の話ではありませんし、ライター兼アーティストとして話を多面的にコントロールしているフランク・ミラーの一作家としての傾向が強いように思います。なので、そこから「典型的なアメコミ」の要素とそうでない要素を切り分けないといけない気がします。
少し気になったのはタームとして使っていないだけなのかもしれませんが、ライターはアメコミでは原作(脚本)担当で絵の表現に必ずしも支配的ではない気がしますが(人によって違うと思いますが)、ところどころそのように発言しているところがあったように思います。『ウォッチメン』の巻末付録のアラン・ムーアの脚本でコマごとの指定があったのでその辺りを元に発言しているのかもしれません。自分もこのあたりに詳しくないのでどうなのかはっきりわかりませんが。
また、吹き出しについては画面構成が吹き出し込みで行われていないことが原因な気がします(どのみちふきだしで視線誘導をしようとしていないということになりますが)。自分の知っている範囲が狭いのもありますが、原画の段階で吹き出しが入っているものを見たことがない気がします。それで人物を避けて吹き出しが後から入れられているのではないでしょうか。
また、コマ割りで言うと現行の『Batwoman』がかなり凝ったコマ割りをしていると思うので、その辺りを分析して欲しいと思いました。