∀ddict

I'm a Japanese otaku. I like Manga, Anime, Games and Comics.

FREEDOM SEVEN 後編

エデン管理局員になったカズマが「自分たちの仕事は『退屈』を守ることだ」と言っていて真っ先に思い出すのはやはり『1984年』

Big brother is watching you. War is peace. Freedom is slavery. Ignorance is strength.
"1984" - George Orwell

エデン管理局のような実際に監視している対象――リトルブラザーが組織の安定や個人の自由の保障を名目に個人を監視している。……というのはもはやよくある話です。かつ、彼らリトルブラザーたちは作業量的に「誰が何をしているのか」ということを把握しているわけでもなく、ただ「知る」のはシステム――ビッグブラザーのみという状況。

利便性を代償に色々なものを売り渡した世界が現代社会であり、エデン*1なのでしょうね。それに対して、自然と原野が広がり、泥だらけになりながらも人々が笑って生きている世界が地球。そしてエデンから飛び出していくためのロケットの名前はフリーダム。更にエデンは火星への移民のための中継基地ということが明らかになりました。


そんな状況下でエデンに生まれたタケルが地球に憧れ、双方の大変さを実感しつつも最後は火星に飛び立っていくというこの物語は何を示しているのか。

自分が思ったのはかなりネガティブな解釈ですが、エデンと地球どちらがいいと言わずに火星(=地球、エデンのその先の世界=未来)へと旅立つということ。アオの叫びにエデン代表(=リトルブラザー)ではなくエデンのシステム(=ビッグブラザー)が応えているという辺りもエデンと地球の評価のバランスを取っている感じを受けました。

よく言えばどちらも一概によいとはいえないことですから、そうせざるを得なかったという感じですし、酷く言えばまとめにはいったけれど、結末を投げちゃったという感じもあります。「科学技術が発達していく未来」は必ずしも希望に満ちたものではなくなっていますしね。それだけに腑に落ちないところではあります。


このように思うのはやはりこの物語が古典的なSFや物語を背景に借りてきているからでしょうね。なにしろ男の子たちが分かり合う手段が殴り合いですから(笑)こういったモチーフを現代に適応しなおして物語を再構築するのはやはり難しいのでしょうか。お金すごいかかっているだろうにその辺りは残念な感じでした。

*1:無論、ユートピア幻想的なこの名前に反してディストピアなのはそのあたりの意図を含めているのだろうけど。