∀ddict

I'm a Japanese otaku. I like Manga, Anime, Games and Comics.

復習:『新世紀エヴァンゲリオン』第弐話「見知らぬ、天井」

シンジとミサトが共同生活を始めるというお話。で話全体の演出としてアニメの進行の流れと劇中の時系列がザッピングされている。この話で1話、2話と続いてきたカラーと少し変わったような部分がある。

「ちとわざとらしくはしゃぎすぎたかしら。見透かされているのはこっちかもね」
(葛城ミサト)

葛城ミサトさん。悪い人じゃないんだ。」
(碇シンジ)

という二人のモノローク。まったくの他人との生活で相手の様子を伺っているという、これ以降、特に中盤の終わりから劇場版に濃く現れるカラーが芽を出し始めている。特に直前までのミサトのはしゃぎっぷりと、風呂から上がってきたペンペンに驚くシンジなど*1コメディ色が強いだけにじわじわ効いてくる。


ここの点は漫画版では大きく違っている。ミサトの家に入るときにシンジが照れながら「ただいま」と言い、ミサトが「おかえりなさい」と言う――後にリツコに「家族ごっこ」と言われるようなことはしていない。ぐいぐい引っ張っていく年上のお姉さんを前にして、自分がこれからどうなるのかという軽い不安を抱えているだけだ。

この後、一旦ミサトとの関係がこじれるのはアニメ版では「どうせ仕事なんでしょ」と「見透かしていた」から。漫画版ではミサトのサードチルドレン監督日誌を見つけてしまって、自分が監視されていたことと仕事のために一緒に住んでいるのだと直接的に知ったからだ。このあたりのニュアンスの差は面白い。


また、初号機の暴走シーンがすごい。

  • シンジの記憶が昨晩のサキエル戦に戻るところのザッピング
  • 口の高速具を自力で破って口を開くところ
  • OPにも同じ動きがある前宙して画面に迫ってくる初号機
  • ATフィールドの発光演出*2
  • 瞬時にして修復される折れた左手
  • NN爆雷でさえ跳ね除けたATフィールドをこじ開ける

となど、メカニックデザインの山下いくとがエヴァのコンセプトを「拘束される巨大な力」と語っていたけれど正にそのとおりだ。ゲンドウと冬月はそれを予定通りとばかりに

「勝ったな」
「ああ」

と話をしているが、他のメンバーはただモニターに釘付けになっている。ここもそうだけれど、1,2話は結構枚数使ってそうな感じ。実際に減っているかどうかは分からないけれど、『ヱヴァンゲリオン新劇場:序』のラストである6話のラミエル戦はスナイパー戦になっているのかな。


後、戦闘後にシンジが再び気を失った理由は初号機が自分を見ていると気がついたことだろうけど、この話は他人と目を合わせているときの登場人物のストレスというか緊張の度合いが高い感じ。モノクロの風景の中でストレッチャーに乗せられたレイが、初号機のハンガーに連れて来れれたときとは違ってはっきりとシンジを見ているところとか。

*1:このシーン、総集編の雑誌でトニーたけざきがパロディ漫画にしてましたね。

*2:ポケモンショックあったけどこれは今でも使えるんだろうか?