文化庁メディア芸術祭 アニメーション部門受賞者シンポジウムレポート
行ってきました。行程としては
- 朝8時過ぎから並んで整理券ゲット
- 10時10分過ぎから『攻殻機動隊S.A.C. Solid State Society』を見る
- 昼飯食ってダラダラ
- 16時半から『時をかける少女』を見る
- 18時半からアニメーション部門受賞者シンポジウム
2と4は別立てで感想を書きますので後回しで。1と3もそう面白い話じゃないので端的に書いてメインの5をしっかり書きたいなと。
1.朝8時過ぎから並んで整理券ゲット
10時開場で本日のイベントの整理券を配布という形式だったので8時半前に東京都写真美術館に。それでも既に10人前後並んでました。最初は並ぶ場所を間違っていたようで入り口に移動するときには20人前後になっていました。会場の席数は190席だったので自分は余裕でしたが、話を聞いていると9時過ぎには100人程度並んでた様子。
並んでいるところが建物の間の通路で風が割と冷たかったのですが、冬並みの重装備をしてDSを持っていったのでどうということはありませんでした。
本日は
- 『攻殻機動隊S.A.C. Solid State Society』
- 『こま撮りえいが こまねこ』
- エンターテインメント部門映像作品賞
- 受賞者シンポジウム 漫画部門
- 『時をかける少女』
- 受賞者シンポジウム アニメーション部門
という日程。『時をかける少女』とシンポジウムの整理券をゲットして『攻殻機動隊S.A.C. Solid State Society』を視聴しにホールに入る。
3.昼飯食ってダラダラ
昼飯を食って恵比寿ガーデンプレイスの中をうろうろ。札幌ラーメンを食べました。
5.アニメーション部門受賞者シンポジウム
会場は総入れ替え制だったので『時をかける少女』終了後に会場の外に出ると既に列が。その後ろに並ぶことに。並んでる間の周りの話題は『時をかける少女』と主査の富野監督がどんな発言をするかという話が多かったように思います。
清掃が済んで開場するとみな駆け足気味に入場。かなり早い段階で中央席と前の席が埋ってました。壇上に上がる前は富野監督と樋口監督は開場の左端に、細田監督とプロデューサーは開場の右端に座ってました。
開始時間になるとまず富野監督と樋口監督が壇上に。富野監督は壇上に上がるときに黒い帽子を脱いでました。それからの流れはこんな感じ。
- 富野監督が壇上中央で文化庁メディア芸術祭アニメーション部門の賞の選考の話
- 席に戻って富野監督と樋口監督で『時をかける少女』と細田監督の紹介
- 細田監督が壇上に上がってあいさつと富野監督のファーストパンチ
- 『時をかける少女』企画当初の話
- 富野監督が考える『時をかける少女』の問題点
- 富野監督退場(ここで所定の時間は終了)で樋口監督と細田監督が20分ほど話
全体的な印象としては富野監督がいつものようにサービス精神を発揮したトーク、樋口監督がフォローを入れたり茶化したり、細田監督は風邪を引いて体調不良のせいか、序盤は口数が少なかった感じでした。
まだ完成してないんですが、終わりそうに無いので一旦アップします。
注意
録音ではなくメモなので一部不正確なところがあるかもしれませんが、そこは他の方のレポートなどと付き合わせてください。基本的に箇条書きでまとめを書いて、その下に自分の感想などを書く形式にしますので、その点はあらかじめご了承ください。
富野監督が壇上中央で文化庁メディア芸術祭アニメーション部門の賞の選考の話
- この賞はアニメーションならどんなフォーマットでもOK(短編・長編・テレビシリーズ・映画など)なので本質的にはそれらに順位付けをすることは無理であり、やったとしたら必ず誰かが納得しない理由付けになることは了解してもらいたいとのこと
- その中で『時をかける少女』を選んだ理由は10年、20年後にこの時期がどういう時期だったかということを振り返る場合に、現在の時代性(物語構成・キャラクター造詣・演出・製作状況etc...?)を最も反映しているから、その資料として選んだ
- 個人的な好き嫌いはともかくとして『時をかける少女』を大賞に押したのは富野監督と樋口監督
- 3年間審査員をしていた総評としてはさまざまな作品を見てなんでもありでいいんだということ
- この1年は特に技術革新が目覚しかったように思う
- 現在の制作者や制作環境に苦言を呈すならプロの慣れ仕事が目に付くようになった。プロはアマチュアとは違うのだからプロ意識を持って制作に臨んで欲しい。だが、そんな中で『時をかける少女』はよくやっていた
この部分はなんだか聞いたことがあるような内容でした(受賞したときのコメントかな?)ここで「時代性」という言葉が出てきたのですが、この後に『時をかける少女』を三監督で語るときに重要なキーワードになってきます。
席に戻って富野監督と樋口監督で『時をかける少女』と細田監督の紹介
- 樋口監督が賞の審査の細かい話
- ついつい話が脱線しがちな樋口監督に富野監督が「パンフレットにあなたが褒めたバカみたいな文章があるんだからさっさと紹介しろ」と『時をかける少女』と細田守監督の紹介をしろとせっつく
- しかし、紹介文の話でまた脱線する
- 富野監督が樋口監督の書いた文章にコメントしたことが最初
- 樋口監督が自分のスタンス(アニメは手伝いしかしない)から言えることはこんなもんできちんと作ってる人にあれこれ言えないとコメント
- 富野監督がそれに対してそれを言ったら評論家は成立しないし、自分なんて自分ではなく、細田監督が賞を取るのかという意識を抑えなければいけないとコメント
- 樋口監督が候補作に『リーンの翼』があったけどあれはどうして落としたのかと質問
- 富野監督はまだあの段階で『リーンの翼』は完結してなかったからだとコメント。『トップをねらえ2!』もあったけどあれ良かったよ、とコメントを返す。大体それなら『涼宮ハルヒの憂鬱』だってあったわけで……
- などとスパイラルが始まったので富野監督が仕切りなおす
- 樋口監督の『時をかける少女』の話
- 上映3日目に自腹切って行った
- 気分は高校生に戻った感じという樋口監督に対して「そんな顔の高校生なんて想像できない」と言い、間を置いて「ああ、そういう意味でも憂鬱なのか」となにやら納得している富野監督
- 映画見た後に絵コンテ集を買った
- 絵コンテ見て「やっぱり作画アニメじゃなかったんだ」と思った
- そこで富野監督が「その絵コンテ描いてるのってどなたですか?」と質問
- 樋口監督が何を言っているんだ?という感じで、「え?だから……」
- それを聞いて細田監督を壇上に呼ぶ機会をまた潰して……と言う富野監督
- やけくそ気味に富野・樋口両監督で壇上に呼ぶコント開始
- 富野「わー、僕絵コンテ描く監督さんって見てみたいなー。コンテってコンテマンが描いてるんだと思ってましたよ」
- 樋口「そうなんですよー斧谷さん」
- こんなやりとりが2,3回あって細田監督が紹介される。細田監督、壇上へ
前振りが結構長くて細田監督がいつ出てくるんだろうと内心ひやひやしてました。その反面、普段富野監督が暴走してそれを他の人がなだめるという図式を見ているだけに、樋口監督とのやりとりは面白くもありました。富野監督にしかられるというか「しょうがないなぁ、お前は」という感じで見てもらってる樋口監督も楽しそうでした。
樋口監督が褒めた文章というのはこれですね
みごとである。アニメーションの枠を超え、人の心を動かす映像作品だ。原作の要素を分解したうえで現在の空気感に合わせて再構成する大胆さと、誰もが抱く本能的心情を重層的に配置して丁寧に描き切る細心さ。物語と語り口の前にアニメーションとしての技術論は無意味だが、アニメーション以外にこれ以上的確に表現する方法があるだろうか? さまざまな技術があふれる現在、動かせない「画」はない。決して潤沢とはいえない条件の中で「画」のみに頼ることなく、確かな立脚点と揺るぎなき視線で「演出」された作品が生まれたことを喜びたい。
言われてみれば樋口監督評っぽいですね。福井春敏との対談とか『ガンダムエース』誌上でやってた樋口道場もこんな感じだったかと。
最後の方で樋口監督が富野監督を「斧谷さん」と呼んでいたのは周知のこととは思いますが、富野監督は絵コンテを切るときには斧谷稔の名前を使っているからです。無論開場は大爆笑でした。
細田監督が壇上に上がってあいさつと富野監督のファーストパンチ
- 細田「公開処刑の場へようこそ!今日は白いシャツが終わるまでに血の色に染まっていないか心配です。で、講評を聞くのかな?」とジョークを交えて細田監督があいさつ
- 細田監督は昨晩ボストンから帰ってきたばかり(ボストンに行っていた理由は後述)で、帰りの機内で風邪を引いてしまって体調不良
- 樋口監督がつかさず「空調も切って締め切ってますので是非(カゼを)お持ち帰りください」とジョーク
- そこに富野監督がファーストパンチ「アニメって何ですか?」
- この吹っかけ方に言葉に詰まる細田監督。最終的には色とりどりの絵の具ががちりばめられた素敵なガラス細工といった答え
- 富野監督が『時をかける少女』が各所で賞を取っていることに言及して、先日の日本アカデミー賞についても言及
- 日本アカデミー賞ができた頃(初回は1978年)にはアニメ映画が映画として認められていなかった
- それが変わってきたのはここ十数年の宮崎監督の実績が大きいし、実際に受賞もした
- その後に思ったのは隙間を作らずに次の世代につなげていきたいということ
- それだけに細田監督が受賞できたことは大変ありがたい
映画として認められなかったアニメ映画というのは富野監督的には劇場版『機動戦士ガンダム』であり『THE EDON』なんでしょうね。映画界におけるアニメの位置の低さというものは押井監督もインタビューで話していましたっけ。
細田監督の「アニメとは何か?」という問いに対する答えは『時をかける少女』のタイムリープのシーンなどに現れている感じで腑に落ちる回答。あまり哲学的なことを話しても時間もあるのでいい回答だったと思います。ですが、富野監督としては以降に述べる社会性や時代性の話につながって行くのでなかなか難しい感じ。
『時をかける少女』の話
- まず細田監督が『時をかける少女』の企画の開始当時のことを話す
- 脚本について
- 細田監督が『時をかける少女』を作るに当たって考えたこと
- 10代の少年少女をターゲットとしたので大林版とか見てないだろうし、必ずしも原作どおりではなくてもいいだろう
- 1965年の小説版のオリジナルを尊重しようと考えた。実写の大林版が出て以降の実写は大林版のリメイクみたいになってる
- 当時の時代を描いたもので、当然今とは違いが生じる。そのための方法論として原作通りに作って今の時代との差異を観客に考えてもらうか、作り手が今と昔がどう違ってどう変わっていないのかということを考慮した上で作品を作り直すというものがあるが、『時をかける少女』は後者を選んだ
- 原作付きということで樋口監督の『日本沈没』に飛び火
実写版『時をかける少女』の富野監督評が「見たけど分からなかった」とか大林版以降のおざなりな扱いだったのにまず笑ってしまった。
ここで再び時代性(言葉としては現代性になってますが)という話が浮上。時代性を再現する上で問題が生じていると富野監督が話し始めます。
富野監督が考える『時をかける少女』の問題点
- 富野監督が『時をかける少女』を買う気になれないのは作り手がティーンエイジャーを気楽に捕らえていないかという点が気にかかるため
- 「あの人と付き合いたい」が「セックスしたい」、「おマ○コしたい」にしか聞こえなくなってきて一歩間違えれば風俗映画で終わっているかもしれないという危うさがあるように感じる(高校2年生の女子の40%が性経験があるという統計から)
- 大人が高校生に擦り寄って作っている感じで大人の目線が無いのは劇作としてどうなのか?
- 富野発言に樋口監督がフォロー。妄想だけをつなぎ合わせて作った作品よりはるかにいいと思うし、自分が高校生のときって楽天的でそんなもんでしたよとコメント
- それに対して富野監督は『ロリータ』や『小さな中国のお針子』なんかを見てみるように言う。富野監督は歯が立たなかったらしい
- 富野監督はその点を認めつつも、演出がうまいだけに流れていっているイメージと語る
- 樋口監督が厳しいとか嫌な事言うなぁといった感じでコメントすると富野監督が嫌われるにも輪郭が欲しくて、ぼおっとしてていつの間にか消えてるってのは嫌だとコメント
- 細田監督の返答とか
- アニメという表現技法に対する人々の障壁を取り払いたいと考えている
- 富野監督は演出はそこの辺りアニメアニメしてなくて映画的だし、脚本の物語構成術もよいと評価。アニメーションという機能的な媒体で実写ではできないことをきちんとやっている
- 『時をかける少女』ということで少女をどう描写するかということに悩んだが、脚本の奥寺さんから「いやあ、男も女も変わんないですよ」と言葉をもらって作れるようになった
- それに対する富野監督の返答
- 再び樋口監督がフォローするも、富野監督は「それじゃオスカー取れないよ」「志は高く持って欲しい」とコメント。
- ここで時間が来て、この後予定もあるし、時間に関しては役人感覚で終了させましょうということで富野監督退場
劇映画中における社会性(富野監督もなかなか表現しづらそうでしたが)というタームが三者で食い違っているところがあるような感じでした。富野監督の話はいつものやつなので分かったような分からないような感じでした。
高校生の学園ものとなると学校という外部から守られた場所で展開される都合上、社会性は出しにくいだろうという樋口監督が言ったのか言いたそうだったのかの部分は分かりますし、その通りです。そこで主人公と家・学校の他につながっている人である魔女おばさんの話になったのだと思います。彼女のポジションはいいのだけど、中身がタイムリープしていた高校生の頃を引きずっているという感じがどうなんだろう、35歳の大人(多分作り手の視点)ってそんなもんなの?という感じなのでしょうか。
もう一つは物語に現代性を持たせるためにはただ現象を描くだけでなく、作者が現代を解体して劇中に再構築するときに劇作である以上、その意図が読み取れるようにして欲しいということでしょうか。そういう『時かけ』は見たいのかという樋口監督の指摘の方が一般には通りそうだなぁ。それだけ高い志を持って作れという富野監督式の激励なのは伝わっていると思いますが。
セクシャリティの話は『∀ Gundam』の頃からのお話なので、ここでは割愛。作品を紹介しておきます。
- 作者: ウラジーミルナボコフ,若島正
- 出版社/メーカー: 新潮社
- 発売日: 2006/10/30
- メディア: 文庫
- 購入: 19人 クリック: 941回
- この商品を含むブログ (244件) を見る
- 出版社/メーカー: パンド
- 発売日: 2003/11/07
- メディア: DVD
- クリック: 35回
- この商品を含むブログ (71件) を見る
- 作者: 米原万里
- 出版社/メーカー: 集英社
- 発売日: 2005/10/20
- メディア: 文庫
- 購入: 11人 クリック: 88回
- この商品を含むブログ (97件) を見る
『小さな中国のお針子』は知りませんでした。『ロリータ』は富野監督と同じく放り出して、米原万里は何かのきっかけで他の本を読んで読んだ記憶があります。「教えてください。富野です」辺りで出てきたかな……。
富野監督退場(ここで所定の時間は終了)で樋口監督と細田監督が20分ほど話
- 富野監督の会場を眺めながら樋口監督「早くドアしまんねぇかな」
- 退場後、細田監督「富野監督と仲いいですね」を皮切りに少し元気になる
- 樋口監督は作中のそこらじゅうに死のにおいが張り巡らされているとコメント(何度も繰り返される坂道先の踏み切りや絵画など)
- 最初は踏み切りだけではなく、重機に轢かれるなどという案もあったが、衆人監視のなかでタイムリープが行われるという点や尼崎の事故、技術さんのエピソードなどで最終的に踏み切りに
- 富野監督にはセックスをほのめかすことばかりだと言っていたが、ボストンのMITで上映したときは正反対で、「なぜこうもセックスのにおいがしないのか?」ということだった
- このあたりは文化圏(日本/アメリカ)と距離のとり方(富野監督/樋口・細田監督)の違いかという話
- この辺りから早く終わらせてくださいというカンペが出てくる
- 4月20日に『時をかける少女』DVD発売
- 「制作費を回収したい……ですね……」とだんだん小声になりながら言う細田監督
- プロデューサーに「具体的な話はダメですよね」と了解を取りつつも、「僕がいろいろなところでしゃべってるのは制作費回収するための営業です。細田がしゃべらなくなったら回収できたと思ってください」だとか(ペイラインはどうにかという細田監督の感覚らしい)
- フィルム数が少なかったのも制作費がカツカツだったため
- 樋口監督が「次回作の制作費も変わりますしね」とコメント。「(メディア芸術祭の候補に)出てない某アニメの予算の何分の一かなー」とも
- 樋口監督は来年は映画の撮影中で審査員になれないらしい
樋口監督も細田監督も富野監督が退場して元気付いたのに笑った。やはり大先輩の前では気を使うんでしょうね。言いたかったけど言えなかったことや富野監督はああいうけど、という枕詞の付いた話が展開されていきました。
富野監督がいた間は作品論についてがメインでしたが、二人になってからは制作費の話なども出てきたり。『時をかける少女』のフィルム数が少なかったのは制作費の都合だったり、製作現場が大変だったという話をしたり。
総合的には富野監督が「討論会などをやる気は無い」と言ってましたが、内輪話だけでなく、それなりに緊張感があって良かったと思います。しかし、細田監督が体調悪くて辛そうだったことも含めて受賞者がメインにことが進んでない印象だったのも確か。受賞者シンポジウムなのにその辺りは普通のシンポジウムではなかったと思います。
それは自分で「文部科学省と文化庁主催のものなんだよ」と言っておいて「セックス」「おマ○コ」と言うおじいさんを目当てにしている客がいるせいですかね。私もその一人であるというダメな客なんですが……orz*1その辺りはTPOわきまえつつ、ギリギリまで反応しないように努力はしてましたが、その一端に加担してしまったことは事実です。その意味ではあまり良くない客だったなと思いました。反省。