『Ecole(エコール)』
Ecole(エコール)―Les poup´ees d’Hizuki dans l’Ecole
- 作者: 陽月,吉田良,アニエスベー
- 出版社/メーカー: 飛鳥新社
- 発売日: 2006/09
- メディア: 単行本
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id:sanakanさんに薦められた時点でSFかB級かいかがわしいかのどれかなんですが、最後でした。
この映画のテーマは単純に言ってしまえばシモーヌ・ド・ボーヴォワールの代表作『第二の性』の一節
「人は女に生まれるのではない、女になるのだ」
でしょうか。
もう少し突っ込んで言えば、近代社会において社会(=Ecole:劇中で〈学校〉と呼ばれる舞台)が〈女らしさ〉を規定し、それによって〈女〉として形どられていくことでしょうかね。
副題のイノセンス(≒タブ・ラ・ラサ*1:白紙)があらわす〈少女〉が加齢的な成長と〈学校〉が与える規律訓練*2によって〈女〉になる様子を描いている作品、と言うべきか。
〈学校〉が与える規律訓練が
- 生物:〈学校〉が森の奥にあるのでその中で生きる術
- バレエ:〈学校〉に投資している〈男〉たちを喜ばせる術
であり、主人公に先輩たちが〈学校〉で生きるために重要なこととして教えたことは
- 数を数えることと:バレエに使う以上の数は数えられない
- 時計が読めること:起床や就寝時刻を守るため
である。つまり、〈学校〉はそういう〈女〉を作るための場所なのだ。
それだけに
- 一番優秀なバレエダンサーが外の世界に連れて行かれる
- 年長は夜の踊り*3を男たちに披露しなければならない
- 外の世界の知識が無い少女たちが〈学校〉から追い出されるラスト
にはえもいわれぬ気持ちを押し付けられてしまう。実際、男はまったく責任が無いとは言い切れないので「うむむ」と唸るしかないのだ(この辺りうまいように言う人いますよね)
これは極端にディフォルメした話だが、女性に限らず男性も含めて我々は社会によって規律訓練を施され、それに従って生きている。
映画の登場人物のようにその規律訓練の外に憧れることもあれば、規律訓練の内に留まっていたいと思う気持ちもある。例えばSFだったりファンタジーの世界観に憧憬を抱くこともあるし、就職したくないと思う学生やニートもいる。
この映画はそういった近代社会を直接描写せずに少女と〈学校〉という閉鎖空間を通して描いているのだ。
……と書いてみましたが、正直見てて辛かったです。
ハリウッド形式の映画に慣れきっている身としては
・冒頭にスタッフロールが延々流れる
・日常描写が丁寧なのはいいのだけど冗長すぎる気がする
・この手の映画って総じて眠く(ry
などの理由で内容面で辛かったし、空調が悪い劇場だったので120分の長丁場で気分が悪くなりました。
正直120分要らないと思いましたし、テーマが現代の社会と少女(女)であれば『マルドゥック・スクランブル』の映画化に金を出してやってくれないかと思ってしまいました。