∀ddict

I'm a Japanese otaku. I like Manga, Anime, Games and Comics.

『オーバーマンキングゲイナー』

今更ながら全話見たので感想を。

キング キングゲイナー
キーング キーング キングゲイナー
メタルオーバーマン キングゲイナー

主役機の名前をひたすら連呼する主題歌からこのアニメは始まる。『機動戦士ガンダム』の主題歌『翔べ!ガンダム』がそうであったように、この主題歌は由緒正しきアニメソングである。

主役機・キングゲイナーが現れ、タイトルバックにはシベリアの吹雪。太陽を背にシベリアの大地を画面に向けて歩いてくる男――ゲイン。暗い空間でしゃがみこんでいる少年――ゲイナー。この二人が本作・『キングゲイナー』の主人公である。ゲイナーはタイトルを冠していることから、ゲインは最終回が「ゲイン・オーバー」であることからもそれを見て取ることができる。

やがてゲイナーは歩き始め、その先にはまだ見知らぬ人々がずらりと並んでいる。それからゲイナーとサラ、ゲイナーとキングゲイナーのカットが挿入される。ゲイナーの服装が学生服から軍服に変わり、銃を構えて見得を切る。そこからどんどんオーバーアクションに加速がかかり、歌のテンションが最高潮に達したところで主役機・キングゲイナーが再登場。宝塚のレビューのようにそれぞれ一列に並んだ敵味方両陣営が次々に手をさしのべていく。富野監督お得意の手法だ。

これを見ただけでなんとなく分った気にさせられてワクワクしてしまう。『機動戦士ガンダム』のオープニングのワンカットにザクの大部隊が挿入されて、敵が量産機を用いるという世界観を提示しているように、このオープニングのカットの端々から『キングゲイナー』の世界が垣間見られていた。『STAR WARS』のオープニングテロップのように歴史の記述がスクロールしていく中で次第にオーバーコートを身に着けるようになったオーバーマン。これだけで「オーバーマンがこれまでのロボット(特にガンダム)とは違うんだぞ」と言う禿頭の老人の意気込みが伝わってくる。


キングゲイナー』のストーリーを大雑把に言うと、人々が故郷へ「エクソダス」する話である。この物語では人類は環境破壊を防ぐために僻地にドームポリスと呼ばれる人工都市に住んでいる。そしてロンドンIMAという中央政府やシベリア鉄道といった組織が徹底して人々を管理していた。そんな体制から脱却し、自立して暮そうというのがエクソダスである。

エクソダスという言葉は聖書の出エジブト記が出典である。約束の土地に帰還すること、それがエクソダスなのだ。アーリーミーアが約束した土地――ヤーパンへのエクソダスがゲイナーたちウルグスクのドームポリスの目的である。本家本元のエクソダスもエジプトからパレスチナまでの長い旅だった。だが、神のご加護もあって食料はマナ、規律は十戒、シンボルと兵器としてのアークが旅の困難や人々の混乱を解決していった。一方こちらのエクソダスは人の手によるものである。物語中でも食料、病人、人々の衝突など、多くの問題がドームピープルたちを襲う。その度にゲインや守備隊隊長のガウリはエクソダスの厳しさを説く。

エクソダスのシステムの厳しさの最たるものがゲイナーの両親の話だ。ゲイナーの両親はエクソダス反対というビラを握って殺されていた。そしてゲイナーは後に本人が告白するように犯人を探そうともせずに27日間ひきこもってゲームをしていた。そしてもう一人の主人公、ゲインもエクソダスによって過去の生活を失っているがエクソダス請負人として暮している。

この二人の関係は似た過去を持ちながら、自分の内側に籠る人間と外側に出て行く人間の対比になっている。この対比はゲインとゲイナーのボクシングの話にも現れている。ゲームチャンプでオーバーマンの操作はできるかもしれないが、現実の世界で生活していく能力に欠けるゲイナーとたくましく生きていくゲイン。たくましく生きているゲインだが、生きていくうえでスネに傷も持っている。ロンドンIMAのセントレーガンのアスハムの妹を孕ませた疑惑がかけられているし、漫画版ではエクソダスに失敗して収容所送りになった住人もいる。

元来の富野作品であればここでバタバタ人が死んでいくし、長期間のエクソダスに耐えられずに内乱が起こってドロドロしていくのだが、この作品では一貫してそのような描写は薄い。そういった描写よりも物語冒頭の祭りやゲイン主催の祭りなど、イライラを発散させるためのものの描写が多く挿入されている。注目すべきはエクソダス象徴がドームポリスに籠っている賢人ではなく、エクソダスを続ける踊り子のミーアだということだろう。この部分は富野思想史を追っている人間に取っては重要な部分だ。端的に言ってしまえば「イズム(賢人たちの思想)ではなく、芸能(ミーア)」とでも言えばいいのだろうか。ここの辺りはまだ固まっていないのでおいおい考えていきたいところでもある。


我々の人生がエクソダスであるとすれば『キングゲイナー』は「嫌なこともあるかもしれないけれど、楽しい事だっていっぱいあるよ」と手厳しく教えてくれる。途中でわけのわからないことが起こって目標は変わるかもしれないし、自分自身が絶望に凍り付いて仲間を傷つけることになるかもしれない。それでも、モンキーダンスを楽しそうに踊っているアナ姫に象徴されるように「生きている限りどうにかなるさ」と語りかけてくれているのではないだろうか。