機動戦士ガンダムSEED DESTINY第3話感想 1クール(3/13)
○『Ζ』と『SEED DESTINY』
ついつい比較しがちです。アレックス・ディノとクワトロ・バジーナとか、シン・アスカとカミーユ・ビダンとか、話の構図とか。ED寸前であっさりアレックス(アスラン)の正体がバレました。デュランダルがやけにニヤニヤしてるし、艦内を案内しすぎなところを見ると初めからからバレてたんでしょうね。黙ってるなんて流石腹黒だ(笑)『Ζ』のクワトロの時と比べると腹の探り合いとかが激減ですけど。『Ζ』の10話『再会』で
「いやいや、沈んだことには変わりはありませんよ。クワトロ大佐…(注:シャアは『ファースト』では大佐)」(ブライト)
「私は大尉です。ブライト中佐…」(クワトロ)
なんていう駆け引きが私は好きなんですが、今回はアスランが所属していたところが舞台ですし、ZAFTには階級がないのでこのネタは使いにくいようですね。今回
「流石、きれい事はアスハのお家芸だな!」(シン)
というセリフや行動でシンがカガリに対する恨みが相当にあることがはっきりしましたが、アスランに関してはルナマリアの
「アレックスって言ってたけど、でも、アスランかも。代表がそう呼んだのよ、咄嗟にその人のことアスランって。アスラン・ザラ、今はオーブにいるらしいって噂でしょ」(ルナマリア)
というセリフに対してもアスランの名前を呟くに留まっていましたし、直前にザクがタックルするシーンの回想があったのでパイロットしての能力は気になってはいるようです。ただ、シンの家族が亡くなったオーブ戦にアスランが参加していたことを知るとまた態度も変わってくるでしょう。その時までにシンとアスランがどのような関係になっているかが今後の展開を大きく左右することになるとは思います。
○マスク機能/仮面
「名はその存在を示すものだ。ならばもしソレが偽りだったとしたら……それが偽りだとしたら、それはその存在そのものも偽りだということになるのかな?アレックス。いや、アスラン・ザラ君」(デュランダル)
今のところ2/3でデュランダルのセリフで締めにかかっている『SEED DESTINY』。シャアの中の人の存在感がやけに大きいですね。今回も上記のセリフで締められました。しかしながら、シャアの中の人にこのセリフを言わせるのは色々な意味に聞こえますね。
キャスバル・レム・ダイクン(本名)
→エドワウ・マス(地球に避難〜ジオン軍士官学校入学)
→シャア・アズナブル(〜『逆襲のシャア』)
→クワトロ・バジーナ(『Ζ』)
と三つの偽名を使い続け、本名であるキャスバルよりも偽名を名乗っている期間の方が長かったシャアが今回のセリフ、です。当のシャアは本名のキャスバルではなく、シャア・アズナブルとして、生涯のライバルのアムロとの決着を付けたいと思っていました。『逆襲のシャア』で総帥になっても最前線に出て戦っているのはそのためですね。まあ、中の人が同じだけなのですが(笑)
さて話はずれますが、ガンダムには色々な伝統があります。例えばかなりの割合で行われるガンダム強奪や仮面キャラの登場などがその代表でしょうか。『SEED DESTINY』でもガンダム強奪は行われましたし仮面キャラも登場しています。ネオがそうです。
そして『∀』で登場した「ディアナとキエルというマスク機能」(ササキバラ 2004)が総結集して『SEED』へ至りました。4クール後半にしゃべるだけしゃべらせて謎はほとんど解決しなかったものの、フラガとクルーゼ(本名:ラウ・ラ・フラガ)という「仮面+マスク機能」が『SEED』で展開され、『SEED DESTINY』ではレイとネオがその役目を果たしています。しかも仮面を付けている方が逆転しているというところを見ても、ザフト側から見た戦争の大義を面々と語る準備は出来ているようです。
しかし、これまでのところザフトの大義を語るのはOPでレイとネオとの関連付けがされているデュランダルでレイは冷静な軍人といったポジションでしかありません。*1
また、レイ・ネオ・デュランダルのバックに映ってるのはメンデルだと思うのですが、そうなると今度はキラとのつながりも出てくるわけで、前回同様伏線張るだけ張って生かされないという状態にならないといいですけど……。
○懸念
箇条書きにすると以下の三つ
- インパルスの合体シーンがやっぱり長めに感じる
- OPで主役機が背負う星が尽きてきたこと
- ストーリーとアクションシーンの乖離
1については尺やバンクの関係に繋がってくるのでSEEDにおける回想シーンの多様と同じく尺稼ぎだと言われないといいのですが。
2についてはシンが乗り換えた後のバックは個人的には木星かクジラ石じゃないかと思っています。木星はファーストコーディネーターであるジョージ・グレンゆかりの地ですし、前作から伏線だけあって何も音沙汰無しのクジラ石かなぁ、と。フリーダムの代わりに太陽でも問題ないかと思いますが。
3については『SEED DESTINY』に限らず多くの映画なんかが陥っている事態ですが、アクションシーンが映像描写について特化、あるいは専門化しすぎて、ストーリーを語れなくなった状態*2になっている気がします。(追記:調べたらこのことは映画評論家の町山智浩氏が以前から言及されていたようです)
アクションシーンに尺を割けば、それだけストーリーを語る尺が不足してくるわけで、映像としては派手なんだけれど内容がほとんど無いというものが出来上がっていたりします。富野ガンダムが戦闘中にやたら議論や禅問答を繰り返していたり、何気ない数カットやセリフで説明を行っていたのはそのためだったりするのですが、『SEED』や『SEED DESTINY』は映像としては見栄えがして、設定もいいのに内容が薄い感じがするのは多分そのためだと思います。
無論、この辺りの配分やさじ加減は好みに寄るところが大きいので今の配分の方が好きという方も多くおられると思います。ですが、ここが今後もボトルネックになってくるのかなぁ……。